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執筆者の写真Miho Oashi

森の中で営むアメリカ料理店 カフェブロッサム オーナー・相場勝夫さんに訊く!

更新日:2019年12月12日

10代の頃から憧れていた店があった。私の生まれ故郷でもある、栃木県佐野市のずっと山奥にあるレストランだ。そこに初めて訪れたのは20歳になる少し前。大きなログハウスのなかでは暖炉がパチパチと燃えていて、その前には白髭の老紳士がいた。

暖炉がパチパチと鳴る

あれから10年以上経って、ふとあのお店と老紳士のことを思い出した。だからまた訪ねてみることにした。

緑が美しいガーデン
オーナーの相場勝夫さん。いつもお洒落
最愛の妻に自分の人生を生きてほしい

−人里離れた場所でローストビーフのレストランをやろうと思ったきっかけはなんですか?


ここは私の仕事の関係で、モデルハウスとして建てた場所なのね。仕事は貿易関係をやっていて、アメリカやヨーロッパから建築材料を輸入して売ってたの。この建物はいずれは別荘にしようと思っていたんだけど、平成元年に家内の耀子(ようこ)さんが乳がんで片胸を切除したことがきっかけで、ここをレストランにしようと。耀子さんにはとにかく元気に生活してほしかったから。

亡き妻の耀子さんとの写真が飾られている

彼女が退院した1年後くらいに、アメリカに一緒に行ったのよ。ジョージア州というところで、「ディープサウス」って一口に言うんだけど、フロリダのちょっと左側っていうのかな。田舎をドライブしてたら、たまたまガーデンレストランがあったのね。行ったのが5月くらいだったと思いますけど、陽気のいい時で、お庭も整備されていて、テラスがあって、テーブルが並んでて、日除けもついてるような。こういうのいいなあって。30年以上前だとなかなか日本にもなかったでしょ。


彼女はケーキ作りとかお料理が好きだったから、こういうカフェをやったらどう?って提案したの。カフェをやればお客さんも来てくれるかもしれないし、彼女も得意分野が生かせるでしょ。彼女に自分の人生を生きてもらいたいというのがあって始めたんです。


オイルショックが発端の“ログハウスムーブメント”

−貿易関係のお仕事というのは、具体的にどんなことをしていたんですか?


始めはね、1974年頃に中国と貿易をしていました。その頃はまだ毛沢東が生きてたの。今は「改革解放」というのでビルディングが建っちゃってますけど、毛沢東の時代は「文化大革命」っていうのがあってね、インテリとかを田舎に追いやっちゃうんです。その時代に中国に行って、繊維関係の輸入をしていました。ビジネスとしてはうまくいったんだけど、ライバルも出てくるでしょ。それでマーケットプレイスを変えようと、たまたまアメリカを旅行したの。

その時に、ログハウスっていうのがひとつのムーブメントとして起きてたのね。なぜかと言うと、1973年に「オイルショック」っていうのがありましたでしょ。無制限にエネルギーを使うんじゃなくてね、節度を持って使おうと。例えば住宅であれば断熱性を考えた建物を作る。

木々に囲まれたログハウス

そういうなかで、ヒッピーなんかが立ち枯れた木を見つけてきて、それをスカンジナビア人がやったように積み上げて家を作った。木は水分が抜けて乾燥すると細胞の中が空気だけになるでしょ。これは自然の断熱材なんですよね。非常にプリミティブな方法なんだけど、それを見直そうという機運がその頃出てきたんです。私はそれをコロラドでたまたま見たのよ。木だから日本人の感性にも合ってるなって思って、じゃあシステムを輸入して、普及させたらどうかっていうので、ログハウスの輸入が始まったのね。

ヨーロッパとアメリカンライフに強い憧れがあった

−このお店はほとんどもう“外国”なんですね。


この建物はまったくの外国製。この暖炉はフランスの、窓はアメリカ、天窓はデンマーク、家具はノースカロライナ、イギリス、イタリア、木材はオレゴン、床もオレゴンですね。壁の板はアイダホ。

家具や木材はすべて北半球からインポート

ドアを開けたら自分の好きな世界っていう、そういう風にしたかったの。どっちかっていうと自分たちの世代って、海外志向なの。なんと言ってもヨーロッパ。それとアメリカンライフ。そういうものに対して根強い憧れがあったのね。


−お料理はどうやって覚えたんですか?


レシピは家内がいろいろ考えて。アメリカのレシピ本とかで勉強してましたよ。あとは食べ歩き。私は北半球はだいたい行ってたから、フランスとかイタリアとかアメリカはもちろんね。イギリスでシンプソンっていうローストビーフの有名な店があるのよ。そこで食べたり、フランスの三つ星レストランとか。ミラノとかフィレンツェとかサンフランシスコだとかいろんなところを食べ歩いてね。そうするとだいたい世界のフードビジネスの概念ってわかるでしょ。


それから「オーガニック」っていうキーワードでやろうと。耀子さん自身も病気を患ったから、免疫力つけるためには食物が重要なんだと学んだわけね。お店が始まったのは1993年くらい。

シグネチャーのローストビーフ。本当に美味しい

ローストビーフはね、あるとき知り合いに頼まれたのがきっかけ。知り合いのお嬢さんが結婚式をここでやりたいと。ついてはローストビーフを焼いてほしいということになったの。暖炉で焼いたんだけど、もうおかわりがすごい。結婚式がローストビーフパーティになっちゃったのね(笑)。こんなに人気ならメニューにしようかっていうことで。

2015年に家内が亡くなってからは、次男が料理をやってくれてます。今はここでお客さんを迎えて、おしゃべりもできるでしょ。家に帰れば自分で好きなものを作って食べて。体が元気なうちはそういう生活ができればいいな。


相場さんに訊く! 3つの質問


1. 人生を変えた出来事は?


一番は1973年のオイルショックの時ですね。急に商品が売れなくなっちゃって、どうしようかって。これだけ人の気持ちってガラッと変わるんだなって思ったのね。


それから、ベルリンの壁崩壊。1989年11月はニューヨークにいたのよ。どこかで夕食を済ましてホテルに帰ってきてテレビをつけたら、そんなニュース。いつまでもずっと続くものだと思ってたことが、突然なんの予告もなしになくなることもあるんだって。だから世の中なんでもあるんだなって。そこから私が気づいたのは、“どこにもないものを自分で作ればいいんだ”ってこと。


2. 毎日をハッピーに過ごすために心がけていることは?


それはね、今日より明日はまた違う自分を見出すっていうことですよ。自分の力を信じるっていうこともあるし。この道を磨いていけば明日に通じる。そういうことですよ。


うちの家内が言ってたんだけどね、「かっちゃんね、磨けば光るの。そうするとね、人は喜ぶのよ」。それに尽きる。自分を磨くっていういろんな意味でね。


3. 影響を受けたものは?


20代の頃のパリでの生活。ヘミングウェイの短編集にたまたま「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる」というのを見つけて、自分の世界観の基本にあるのはそういうことなんだなと思いました。



 

カフェブロッサム

0283-66-2254

11:00〜15:00頃まで

木金定休



インタビュー:Miho Oashi

撮影:Kana Fusegi

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